yuduriha hana

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sankaku daidokoro

touyu kakko

重たい雪が遠のいて、入口の三角屋根も肩の荷がおりてさっぱりした様子。入口から右奥に進むと体育館がある。天井近くの周り縁にはツバメの巣も見える。左に給食室だったと思われる台所。工房で展覧会を行うたびにたくさんの人で混雑する。ひと冬に約3トンも灯油が必要で薪も半年以上かけて集める。トイレは汲み取り式。ミイラと化したカメムシやカマドウマについ身体が固まる。
老犬のカッコーは無我の境地に入っている。

 

 工房は、かつての加納小学校黒岩分校跡を利用している。とても古いがアトリエとして活用するには充分すぎる広さを持ち、体育館や廊下、教室などは作品を展示するギャラリーとして公開もしている。
 青砥は黒岩地区の他に会津地方の三島や芦ノ牧も工房の候補地として考えたが、行政の支援を受けないで活動をしていきたいと考えここに決めた。移住当時、地区に子供は一人もいなかったが、廃校ではなく休校扱いだったため教育委員会が管理していた。一時間当たりの使用料を提示され、毎日午前八時から午後六時までの約十時間だけ使用するのがやっとだった。校舎は村の資材置き場のような状態で、古くなって処分するしかないような農機具や材木などあらゆる物が無造作に詰め込まれていた。使えた場所は現在の小野のアトリエと職員室のみで、それでも年間七十万〜八十万の家賃を支払わなければならず資金はすぐ底をついた。
 しかし、もっとも大変だったのは村人との交流であり、打ち解けるまでに約三年ほどかかった。都会の常識は通用しない。答えをハッキリさせると話がこじれる。村のしきたりは感覚的だが変化を好まない。酒やお茶を酌み交わしながら少しずつ生活の知恵を教わり、また雪下ろしなどの力仕事を手伝うことで、ようやく懐を開いてくれるようになった。地区で利用している山の伏流水の管が雪の重みで倒れた木によって塞がれることがあると、その場所を一緒に探して復旧作業に加わったり、病気になったお年寄りを病院に連れて行ったりしている。
 黒岩での生活が4年目に入ったとき、当時の教育長は退任前に今後も使う予定が見込めないのだからと分校を廃校にした。校舎全てを自由に使わせてくれることになり、なんと家賃も年間三万円弱になった。
 村人の了解を得て不要品を処分し、校舎の屋根や床、壁や窓などを少しずつ修理していった。質素でも衣食住が整って、生活が少しずつ落ち着きはじめ、それぞれが制作に打ち込めるようになったのは、移住して八年ほど経ってからである。

 

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