
春夏秋冬 トップへ戻る


黒岩は、今でも三メートルの雪に覆われる。一晩で八十センチ以上積もることも珍しくない。一年のほとんどが雪対策。雪に逆らわず、雪に問いながら、生かしてもらっていることを忘れずに、そういうふうに冬を過ごしてきた。自然に対して謙虚であることが大切だ。
過疎が進み、長い間行われなかった村の雪まつり。数日前から雪上にビーナスやクマたち二十数体を制作。スコップやナイフなどを使い、工房が埋もれるほど積もった雪の壁を掘り進む。実際に雪像に触ったり、乗ったりできるように階段もつけた。ライトアップされた雪像達は話題となり新聞などで紹介された。訪れた人達をかまくらに招き入れ、村人総出で甘酒やそば、つきたてのお餅など手作り料理でもてなした。黒岩に久しぶりに子供たちの声が木霊した。
村の生活のほとんどが山を守る仕事と雪対策、水と道路の確保である。水は山の伏流水に頼っているため水道代はかからないが、水源のパイプの見廻りはかかせない。冬が来る前にジョイント部分を点検し、雪で倒れそうな木や危険な箇所を予測しておく必要がある。黒岩は携帯電話が繋がらない。集落が孤立しないように道路は一年中点検している。里地から八キロ離れた集落への道は細く曲がりくねり、ガードレールがない場所も多く、落石や倒木、大雨や台風など自然災害には弱い。
それでも黒岩での生活を不便だと思ったことはない。四月、雪がまだ残るが椎茸やナメコの菌床栽培を始め、五月の連休に工房最大のイベントゆづりは展を開催し、下旬には田畑の準備を始める。私達はそれぞれのペースで作品を制作発表をしながら、ジャガイモやトマト、キュウリを育て、山菜など山の恵みも受ける。八月には新ジャガ、トウモロコシ、スイカ、ほうれん草やサラダ菜を収穫。秋は個展等と並行して越冬の準備に入り、ブロッコリーやカリフラワー、人参、大根、白菜などが食卓を飾る。生活のすべてが生きることに直結する暮らしを楽しんでいる。
また、営林署から一時的に、ケガや迷子の保護動物の世話を頼まれることもあり、工房はどうやら人間だけのものではないらしい。
最大のイベント ゆづりは展

工房最大のイベントは、毎年五月の連休中に行われる「ゆづりは展」である。廊下や体育館、制作場所のアトリエなど工房のすべてを解放し、メンバー三人の他に漆芸や版画、書、洋画、照明アート、布絵など様々なジャンルの芸術家たちを交えて展覧会を開催する。会場には個性豊かな作品群が並び、各人の個展の案内や活動状況も紹介されるなど、作家同士の情報交換の場ともなっている。
始めは展覧会のみだったが、平成十三年から五月三日(平成二十年は五月五日)にはコンサートを開催している。国内外で活躍している一流の演奏家たちの豊かな音色に大勢の来場者が酔いしれた。このイベントには福島県内や東北地方、東京方面などからもたくさんの来訪者があり、村の人口が八人から一気に三百人ほどに膨れ上がる。校舎に入れる人数や校庭の駐車スペースが限られているためコンサートだけは予約制である。
共感した四十人ほどが毎年ボランティアスタッフとして出入りしている。送迎バスの手配や駐車場の整備をしたり、また山菜の天ぷらやイワナの塩焼き、豚汁などを来場者に振る舞い、山野草の販売もする。この頃、工房の周りはソメイヨシノやオオヤマザクラ、タムシバなどが満開で見頃となり、校舎の手前を流れる小川のせせらぎも心地よく、足元のカタクリの花も見逃せない。五月はそれまでの静かな黒岩地区が最も活気づき、ようやく訪れた春を喜ぶ祭典がある季節である。
山間の暮らしから 青砥昭修 <文化福島(通巻二九三/一九九六」より抜粋)>
今年は例年にない大雪で、私の住む黒岩地区は山間地ということもあって三メートルの積雪を記録した。屋根までつながった雪の重さで軒が折れてしまった家も数戸。まして空き家となった家は無惨な有り様で、雪がほぼ無くなる五月中旬にはさながらゴースト・タウンの様相を呈す事だろう。大雪は別の被害ももたらした。飲料水を遮断したのだ。この地区では水の供給を山に依存している。数世帯ごとに共有の水源を持ち、湧き水や沢水を塩ビ管で導水しているのだ。二月も中頃を過ぎると雪は徐々に解け始め、ゆるい斜面でも下方へ移動し始める。それにつれて塩ビ管も移動し、ジョイント部が外れてしまったのだ。さらに雪の重さで倒された木が、管を押し潰してしまった。私の家でも水が止まりそうになり、この冬は何度となく水源まで登った。途中水の吹き出している所を見つけ、三メートル近い雪を掘り、修理する。二月下旬の断水修理は大変だった。倒木が雪の下で管を押し潰していたからだ。幸いにもポリパイプを使用していたので、管は割れずにすんだ。しかし、水が吹き出さないため場所が分からない。雪の無い時期の記憶を頼りに木の位置を思い出し、見当を付けて雪を掘ること二日、三メートルの雪を幅二メートル、長さ十数メートル程どかし、その間七本の木を切った。切った瞬間に、今まで重さに耐えていた木は跳ね上がる。そのことを知らずに切ると、当たり所が悪ければ死に至る。
雪の被害は数え挙げたらきりがない。大きな被害と言えば雪崩もそうだ。集落までは、県道、村道と続く。沢沿いに細く、曲がりくねった道は片側が絶壁、もう片方は急斜面でガードレールは殆ど無い。唯一の生活道であるこの道は、実は雪崩の名所でもある。一冬に何度となく雪崩の起きるこの道を通っての通勤は命懸けである。私の同僚と里まで下りた時であった。前方にちょっとした雪崩が見えたので車を降り、私はスコップを手に様子を見に行った。半時ほどして、どうにか車が通れるまでに雪をどかし、同僚に合図を送ったまさにその時、待機していた車の真上から大型トラック四、五台分の雪崩が襲った。間一髪同僚は難を逃れたが、車の後ろの道は埋まり谷底までの急斜面になってしまった。私の合図があと二秒遅れたら、車があと十メートル後ろに止まっていたら、同僚はこの世にいなかったかもしれない。思い出すとぞっとする。実際に過去雪崩で亡くなった方が何人かいるそうだ。地区では雪崩防止対策を何年にもわたって幾度となく陳情したが、役所はそのつど担当部署をたらい回しにして何の対策も打たなかったそうだ。昨年夏の集中豪雨では、地区への道は七箇所にわたって土砂崩れがあり孤立した。斜面はそのまま放置され、雪の重さで斜面の上から大小の木が道路に向かって倒れてくるという二次災害を誘発した。時には直径七十センチはあろうかという大木もあり、道をふさがれることも度々。私たちがこの地に移住する当たって「あったかい時期はいいんだけどな」と言う地区の方々の言葉を改めて思い出す。
今、集落内の南向きの斜面には雪の間から福寿草が顔を覗かせ始めた。山の樹木も微かに赤味を帯びて来た。じきに年寄り『じさま』が薪をソリにつけ、山から滑り降りてくる。隣りに住む、今年米寿を迎えた長老は山菜採りに備えて『てご』作りに余念がない。雪との戦いも終わり山の人々は活動を始める。長年繰り返されてきた営みだ。
常に自然と接してきた山間の人々には、様々な顔を見せる自然と上手に付き合う知恵がある。それは幾度となくなされた工夫の産物だ。けっして学問的ではなく、肌で自然を知るところから生まれる。基本は自然に逆らわないと言うこと。
屋根の雪下ろしは早朝の仕事。まだ凍みているうちに行う。日中は雪が緩み、下敷きになる恐れがあるからだ。
雪崩を回避するのも同じ理屈で、里に下りるときは早朝に出る。春先の雨の日は下りない。
一年分の薪は堅雪になる今時分に切り、藪になる前に雪の上を滑らせて降ろす。
食料は塩漬けにして保存し、味噌も仕込んで味噌樽にねかせる。冬季閉ざされても道が開くのを待つ。
こうした中には、巷に溢れる「便利さや娯楽の産物」が絶たれても暮らしてゆける逞しさが伺える。
私たちがこの山間を生活の場として選んだ理由の一つに「自然の中でオリジナリティーのある暮らしをしたい」と言うことがあった。そして、それは「手作りの生活」と言うことだ。まさにその基本となるのが、こうした姿勢だった。
さて、オリジナリティーがあると言うことはどの様な事だろうか。
直訳すれば独自性があるということだ。模倣ではないと言うことにもなる。原点は自分自身の信念或いは信条ではなかろうか。時には生とその実感への強烈な執着でもある。
政治、生活様式、市場、さらには漠然とした世の風潮までが少数切り捨ての中央集権社会にあってはオリジナリティーなどという言葉すら死滅してしまったかの様にさえ思える。敢えてこうした社会の中でオリジナリティーを求めれば、摩擦や誤解を生むこともある。
私たちの住む集落は、まさにこうした世相の中で消滅しかけている。幾世代にもわたって受け継がれて来た知恵や道具、そして何よりも「手作りの生活」が無くなろうとしている。これは無性に寂しいことだ。そんな気持ちから集落の年寄りに監督指揮してもらい「バッタラ」と言う精米機を復元した。そして自作の米をついた。江戸時代には既に使われていた、沢水を利用して米をつく精米機だ。原理は「ししおどし」と同じで、一分間に四回ほど臼に入った米をつく。機械で精米するのと違って熱を持たず、小糠も適度に残り甘くて美味しい。
私は、自然と、そこに暮らした先人達からの授かり物である「手作りの生活」を受け継いでゆくことは貴い事だと思う。決して無くしてはならない。何故ならばそこには必ず作者の顔が見えるからだ。
殆ど全ての「物」や「事」が出来合い品の都会生活に、或いは都会志向の生活に作者は見えない。言い換えればオリジナリティーは無いと言うことだ。
今年、大雪の中での生活は確かに大変だった。不便さと労を惜しんでは立ち行かない。
今、皆と同じであることに安堵し、手作りの喜びと実感を得る事なく、どうでもいい情報と機械の中に埋もれ、日々流されて暮らす事にどれだけの意味があろうか。人それぞれが「作者としての私」をしっかり持ち、大切にするべきは何であるかを再確認する時期ではないだろうか。
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